イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 1831年10月15日 - 1904年10月7日)
イザベラ・バードは、イギリスの女性旅行家、紀行作家。明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し、その旅行記"Unbeaten Tracks
in Japan"(日本語題『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』)を書いた。また4度にわたり李氏朝鮮を訪れて『朝鮮紀行』を書いたことでもしられる。 ・・・ WikiPedia
1878年(明治11年)6月から9月にかけて、通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉を供とし、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した(所々で現地ガイドなどを伴うこともあった)。また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。これらの体験を、1880年
、"Unbeaten Tracks in Japan" 2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録である。
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栃木県壬生町から鹿沼市の日光杉並木に至る例幣使街道では、よく手入れされた大麻畑や街道沿いの景色に日本の美しさを実感したと書いている。また日光で滞在した金谷邸(カナヤ・カッテージ・イン)にはその内外に日本の牧歌的生活があると絶賛し、ここに丸々2週間滞在して日光東照宮をはじめ、日光の景勝地を家主金谷善一郎および通訳の伊藤とともに探訪する。・・・
・・・日本について
肯定的な側面と否定的な側面双方を多面的に記述
日光滞在10日目には奥日光を訪れるが、梅雨時の豊かな水と日光に育まれた植生、コケ、シダ、木々の深緑と鮮やかに咲き誇る花々が中禅寺湖、男体山、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯元湖を彩る様を闊達に描写し絶賛している。街道の終点である湯元温泉にもたいへんな関心を示し、湯治場を訪れている湯治客の様子を詳らかに記している。またその宿屋(やしま屋)のたいへん清潔である様を埃まみれの人間ではなく妖精が似合う宿であると形容し、1泊したうえで金谷邸への帰途に就く。
・・・ 日本人について
「日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱弱しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、 男たちのよろよろした歩きつき、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象であると日本人の人種的外観について記している。
・・・ アイヌ人について
「未開人のなかで最も獰猛」そうであるが、話すと明るい微笑にあふれると書いている。
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イザベラ・バード『日本紀行』
上陸してつぎにわたしが感心したのは、浮浪者がひとりもいないこと、そして通りで見かける小柄で、醜くて、親切そうで、しなびていて、がに股で、猫背で、胸のへこんだ貧相な人々には、全員それぞれ気にかけるべきなんらかの自分の仕事というものがあったことです。 (上巻, pp. 43-44)
日本人は洋服を着るとえらく小柄に見えます。
どの洋服も不似合いで、貧弱な体型と国民全体の欠陥であるへこんだ胸とO脚が誇張されます。 (上巻, p. 55)
これほど自分の子供たちをかわいがる人々を見たことはありません。だっこやおんぶをしたり、手をつないで歩いたり、ゲームをやっているのを眺めたり、いっしょにやったり、しょっちゅうおもちゃを与えたり、遠足やお祭りに連れていったり、子供がいなくては気がすまず、また他人の子供に対してもそれ相応にかわいがり、世話を焼きます。 (上巻, pp. 182-183)
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従者1人だけで、東北の山奥を訪ねるとは「なんと無謀な!」と思ってしまうが、イザベラ自身も『日本奥地紀行』では当時の日本をこう書いている。
その後わたしは本州奥地と蝦夷の一二〇〇マイル〔約一九二〇キロ〕を危険な目に逢うこともなくまったく安全に旅した。
日本ほど女性がひとりで旅しても危険や無礼な行為とまったく無縁でいられる国はないと思う。 (上巻, p. 484)
・・日本近代史の歴史認識から
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明治の日本。![]() |
イサベラ・バードの日本紀行01![]() |
イサベラ・バートの日本紀行02![]() |
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南会津の旅 # イザベラ・バード「日本奥地紀行」 ![]() |
イサベラ・ハードの日本紀行10 ![]() |
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100年前の悲惨な朝鮮 イザベラバードいわく都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。おまけに、道路はその家々から出た糞、尿の 汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている ... |